私の職場である美馬市立脇町図書館は「うだつの町並み」の一画にあり、藍の栽培や藍染めなどのイベントを行ってきた。
活動を重ねるごとに藍への関心が深まり、より詳しく知りたいと思うようになった。

事前調査

藍ってどんな植物?

百科辞典や植物図鑑を用いて簡単に調べてみることにした。

まとめ
  • 藍(タデアイ)は、タデ科タデ属の1年草で東南アジア原産。
  • 日本には、飛鳥時代以前に中国から伝わってきた。
  • 藍(青)色の染料としてつかってきた植物の総称としても使われる。
  • 和名は青の転語、また青い汁が居(イ)ることからといわれている。

藍の種を入手しようとインターネットで調べていた際、いくつかの種類があることを知った。
一体どれくらいの品種があるのか、本やインターネットで調べると…

まとめ
  • 蓼藍の品種だけでも数多くあるが、同名品種のものが少なくない。
  • 蓼藍の品種の中で、日本で一番作られている品種は小上粉(白花)。
  • タデ科以外にはマメ科やキツネゴマ科、アブラナ科などの種類がある。
"藍"という漢字はどういう経緯で成り立っていったのか?

気になったので、語源辞典や漢和辞典を用いて調べてみることに。

まとめ
  • “藍”という文字が現れるのは、中国の古書において紀元前1世紀の頃。
  • 漢字“藍”は染料を採る工程をあらわしている。

阿波藍の歴史

藍が徳島県で栽培され始めたのはいつ頃なのか?

美馬市の郷土史家・國見慶英さんから直接お話を伺うことができ、阿波藍の栽培が脇町から始まっているという情報を得た。

図書館で調査を続けると『脇町史』(上巻)の「見性寺記録」に、藍についての記述を発見した。

まとめ
  • 徳島における藍の栽培は宝治元年(1247年)から始まった。
  • 発祥地は美馬郡岩倉(現美馬市脇町岩倉)。
徳島県において藍業がどのようにして発展していったのか?

調査していた複数の資料によると、「兵庫北関入船納帳」という史料に、文安2年(1445年)に県内の港から収穫された葉藍が兵庫の港に積み出された記録が残っており、この頃には藍の栽培が盛んに行われていた。

取材で訪れた徳島県板野郡の「藍住町・歴史館・藍の館」にその展示パネルがあった。

また、複数の資料を読み解いていくと、室町時代以降において本格的に藍の栽培が行われ、藍が徳島県の特産物となった要因がわかった。

まとめ
  • 吉野川流域の土地が藍作に適していたことや近世初期に綿栽培が盛んになったことに加え、財政危機を救うため徳島藩が藍の栽培を奨励したことにより、作付面積が増えていき徳島の特産物の一つになった。
脇町における阿波藍の品質は?

明治12年(1879年)発行の『大日本物産大相撲 付世界之部』には、最高位の大関となっていたが、江戸時代における図解入りの百科事典『和漢三才図絵』によると、当時は阿波・淡路産の藍は山城・摂津産に次ぐ扱いを受けていることがわかった。

その中で、脇町で栽培していた藍の品質を調べてみることにした。

元文5年(1740年)「御国中藍作見聞記録」にて美馬郡では15村で藍が栽培されている。また、美馬郡で栽培された藍の生産高を「辻」と「上」の2つの品質に区別したのが下記の表である。

『脇町史』によると、宝暦8年以来およそ78年の直段では脇町島分で生産された葉藍は、中の下程度の品質であった。

まとめ
  • 美馬郡内においては猪尻村、脇町が高い生産性を示していたが、品質は他郡の地域における葉藍と比べるとあまり良くなく中の下であった。

ここまでの調査を踏まえつつ、なぜ脇町が藍の集散地と呼ばれるようになったのか調べてみた。調査してきた資料をもとに、美馬郡における藍作付面積と収穫高の推移をグラフにした。

まとめ
  • 美馬郡全体について見てみると作付面積が最大となるのは、明治32年(1899年)の2730町5反で、最大収穫高は明治35年(1902年)の94万9620貫。
  • 当時の生産量から藍作は貴重な収入源になっており、藍業を営む人たちが多くいた。
  • 江戸期から明治中期にかけて脇町では、藍商が活躍しており、有名な藍師もいた。その藍商・藍師のもとへ蒅や藍玉をつくるための葉藍を周辺の村々から買い集めていたことから脇町は優れた藍の集散地となるに至った。

藍の効能

以前、カフェで販売されていた藍を使った商品を食べたことがあるのを思い出し、調査のため訪れることにした。

『徳島県薬草図鑑』によると藍には、染料としての利用だけではなく、食とあった。また、日本に伝わってきた中国の薬学物書などによると、藍には次の表のような様々な効能が書かれている。

四国大学では学生が阿波藍を混ぜたパウンドケーキ作りに取り組んでいる。指導教官の近藤真紀教授がラットを使った実験で藍による体脂肪減少効果を証明しており、学生に食品への応用を提案したとの記事も見つけた。

藍には、染料や薬以外にも様々な用途に活用できる可能性を秘めていることがわかった。

藍の商品をいろいろ食べてみた感想としては、藍の味はそれほど感じないが、藍のほのかな香りのするものもあり、体に優しそうな感じだった。

図書館での藍栽培と藍作農家の現状

藍の栽培は今年で3年目。地域に根差した図書館づくりを行う上で何かできることはないかと考え、図書館の中庭と地域の方に貸していただいている畑で栽培を行っている。

藍染めの染料になる蒅(すくも)をつくってはいないので、栽培後、収穫して蒅をつくり出荷するまでの作業工程を調べた。

蒅は、藍の収穫後、細かく刻み乾燥させた「葉藍」(写真の左から2つ目)に、水を加え、発酵させて染料にしたもの(左から3つ目)。

江戸時代から農具が発達したとはいえ、手作業で広大な土地から藍の葉を刈り取る作業を行っていたことがわかった。

当時、藍業の中で唄われていた労作唄に“藍切り唄”や“藍こなし唄”がある。1日の労働時間は20時間といわれ、重労働だった。

藍作農家の現状を『阿波藍だより』と新聞記事から知ることができた。

平成24年6月2日付の徳島新聞朝刊によると、阿波藍の生産量がここ10年間で、さらに減少している。理由の1つとして、藍染製品の主力である着物の需要減を挙げている。また、藍作農家の高齢化と後継者不足が深刻であると書かれてある。

より詳しく阿波藍の現状を知るために、(有)新居藍製所を訪れた。現在では県内に5人しかいない藍師のひとり・新居修さんが案内して下さり、蒅を作る工程や脇町と阿波藍との関係を含め、多くのことを教えていただけた。

本を読むだけではわからないこともあった。現地に訪れ、生の声を聞くことの大切さがわかった。

「藍の館」では、藍栽培に使われていた昔の農機具を実際に見ることができた。藍栽培用具39点、葉藍処理用具23点、蒅製造用具17点が展示されている。

藍を使った染色

藍を使った染色の歴史について詳しく調べてみることにした。

藍を使った染色技法には、山藍を使った“青摺り”がある。『万葉集』、『古事記』や『延喜式』、『枕草子』の草づくしにも山藍を使った青摺りについて書かれている。

3世紀頃になると、染液の中に布を浸す“浸染法”に取って代わる。これらは現代において“草木染め”と称し、昔からの染色技法を受け継いでいる。

藍は、他の染料植物と同様に染料液をつくっても黄茶もしくは茶色にしか染めることができない。ところが、生葉を摺り潰したり、刻んだりし、水を加えて布をつけると青色に染まる。この“生葉染め”の原理を調べた。

まとめ
  • 生葉には青色の色素“インディゴ”は含まれておらず、そのもとになる“インディカン”という物質が含まれている。生葉と水を入れミキサーにかけるとインディカンと酵素が出てきて反応し無色の“インドキシル”に変化し、繊維に染み込む。その後、インドキシルが繊維の中で酸化して2個が結合することによってインディゴに変化し青く染まる。

藍を使ったもう1つの染色法に、葉藍を蒅にしたものを発酵させる“藍建て”がある。その手法が、いつ徳島に伝わったのか調べることにした。

阿波国内において蒅を使った藍染めができるようになったのは15世紀中ごろからで、それを業とする紺屋が徳島県の各地に広まったのは青屋(藍染屋)四朗兵衛の担った役割が大きかった。

藍建ての原理は?

まとめ
  • 蒅に含まれるインディゴは水に溶けにくい不溶性であるが、微生物の助けをかりて還元されると“ロイコインディゴ”になり繊維に染まりやすくなる。その後、空気に触れ酸化されると、水に溶けにくい不溶性のインディゴに戻ることで色が定着する仕組みになっている。

発酵建て&藍染めに挑戦!!

「としょかんまつり2015」の藍染めイベントで使用する染料をつくることに挑戦した。“藍建て”には日数がかかる。初日は美馬市地域おこし協力隊に指導してもらいながら、仕込みを行った。

実際にやってみると、難しさがわかった。天然灰汁発酵建ては、化学製品を使わず微生物の力を借りて発酵させる技法で、温度管理やpHの値が重要。協力隊から聞いた「藍は生き物なので。」という言葉が耳に残っている。

藍の資料館「公益社団法人三木文庫」を訪れ、学芸員の方に話を聞いたが、何度も発酵建てをしている経験者でも管理の難しさは変わらないとのことだった。

藍染めという枠組みの中にも、いくつかの染織技法がある。これまでに挑戦した様子とその技法について調べたことをまとめた。

「絞り」

布地の染め残そうとする部分を絞って、染液に浸す技法。

「ろうけつ染め」

溶かした蝋を筆につけて布に塗り、模様を描く技法。蝋を塗った部分は白く染め抜かれる。

「型染め・捺染」

木型・紙型などを用いて染料や糊・蝋などの防染剤を布・紙に刷り込んで染める技法。

このほかにも「筒描」、「絣」、「縞」などの技法がある。

藍染めで表現される色や“ジャパン・ブルー”と呼ばれる経緯について調べてみることにした。

本で調べた内容や協力隊へのインタビューから、藍は古くから多くの人たちに愛されており、その理由の一つには多用な色彩美が染めだされることにあることがわかった。

まとめ
  • ”ジャパン・ブルー”と呼ばれるようになったのは、明治8年に英国の化学者アトキンソンが、藍染にあふれる情景をみて称賛したことから始まる。
  • 藍で染めた色にも濃淡があり、時代や用途によってそれぞれ名前が付けられている。
  • 藍の魅力の一つである青色(=藍色)は貴重で古くから重宝されてきたが、その美しさは時代を超えても愛され続けている。

この機会で今まで以上に藍について学ぶことができ、また藍を取り巻く環境が厳しいことを知りました。阿波が誇る伝統の藍産業を残すために私に何かできることがあるとするならば、これまでと同様の活動を行うことしかできませんが、今回の調査で得られた知識や経験も活かしながら、より多くの方に藍の魅力を伝えていければと思います。