Q1.伊能忠敬はいつ生まれたのか?
いまから200年前の1815年ぐらいかな?
1745年2月11日生まれ。270年前、江戸時代に生まれた。
ずいぶん前に生まれたんだなぁ。
Q2.伊能忠敬はどこに住んでいたのか?
千葉県の佐原。忠敬さんの道具や家、博物館があったから!
生まれたのは千葉県の九十九里。18歳で結婚して、佐原にやってきた。51歳のとき、勉強がしたくて、江戸・深川に引っ越す。69歳のときに八丁堀へ引っ越して、73歳で亡くなった。
いろんな場所にいたんだね。
Q3.伊能忠敬はどこから調べ始めたのか?
近いところから調べ始めたんじゃないかな?わざわざ遠いところに行かなくてもいいし。
自分の家。現在の江東区深川から調べ始めた。忠敬さんの勉強の先生が「地球の大きさが知りたい」と言っているのを聞いて、忠敬さんも「しっ……しりたい!!」と思った。
伊能忠敬は、日本を10回に分けて測ったらしい。
ぼくは1回で日本を全部まわったんだと思っていた。
きっと1回で測るのは大変だから、10回に分けたんだろうな~。
Q4.いつからいつまで調べたのか?
長い時間が必要だから、1年ぐらい?
日本地図作りの旅、1回目の出発は1800年6月11日。10回測りに行って(9回目は体調が悪くてお休み)、帰ってきたのが1816年10月23日。全部で17年間、3754日も測量(そくりょう)の旅に出たんだ!
71歳になるまで歩いたなんてすごいなー。
ぼくの予想よりも、ずっと長かった!
Q5.どんな道具を使ったのか?
望遠鏡(ぼうえんきょう)とヒモ。
望遠鏡は夜、星を見るのに使ったんじゃないかな。
歩きながら3つの道具を使った。
- ①星を見る道具
- ②距離(きょり)を測る道具
- ③方角や角度を測る道具
望遠鏡もいろんな種類があるんだなぁ。
さらに調べてわかった!
「自分の足」が道具だった!
歩測(ほそく)
忠敬さんの1歩=69cmを使って測った。
ぼくもやってみよう!
パパ・妹とやってみた!
【実験】歩測の出し方
- ①10mを何歩で歩けるか数える
- ②10回歩いて平均を出す
- ③1歩が何cmか計算する
→パパの1歩は77cm、大空くんの1歩は55cmでした(妹は途中で帰っちゃった)
忠敬さんよりパパの1歩の方が長い!パパすごい!
ぼくの足の定規(歩測)と、メジャーで測った距離は違うけど、忠敬さんはいつも69cmですごい。
Q6.伊能忠敬は何人で測量に行ったのか?
4人!
ヒモとかを使って、4人で協力して測ったと思う。
数人で何回にも分けて測った。少ないときで6人、多いときで20人で回ったそうです。
Q7.乗り物は使ったのか?
船を使ったんじゃないかな?
海岸線を測っていて、小舟を使った。
やっぱり船だったんだー!
Q8.伊能忠敬は地面の一番端っこを歩いたのか?
端っこを歩いた。
そのおかげで、地方の形がわかったと思う。
海岸線(日本の端っこ)を歩いたのがほとんどだった。海岸線は岩がぼこぼこしていたり、道がなかったり、岩によじのぼって測ったりして大変だった。測れなかったところは「不測量」と書いた。
正直に書いたんだなー。
Q9.どうして地図を作ったのか?
調べたかったから。
日本の形を知りたかったから。
日本がどんな形をしているのか、自分で調べられるのが嬉しかった。日本地図があれば、自由に旅ができるし、日本の海岸に外国の船が攻めて来ても、守りを固められる。
また、昔から、星・太陽・月・地球のことを勉強することが大好きだったから。
調べようとしたことがすごい!
そして年をとったのに、歩けてすごいなー。
ぼくが一番びっくりしたことは、伊能忠敬さんが17年間歩いて測ったことです。
歩いた距離は4万キロ。これは地球1周とほぼ同じ距離です。長い時間と距離をかけていて、すごいと思いました。ぼくも日本を歩いてみたいです。