図書館で見つけたのは「れき史をたずねて」という、と島区教いくいいん会が出した本(平せい6年)。しかも、牧場があった場所は、家のちかくでした。

その日のうちに牧場あとにいってみました。2かしょ行ってみたけど・・・

どっちにも牧場のあとはありませんでした。

お母さんも驚いていた!

住んでいる土地の歴史を調べるのが好きだったけど、図書館で借りたた「歴史をたずねて」という本には衝撃を受けました。まさか、池袋に牛がいたなんて・・・。

牧場の跡地に行ってみたけど、何の痕跡もない。あったとしても江戸時代頃の話じゃない?

家に帰って、本を読み直したら、100年くらい前にも池袋に牧場があったとか!

これは、調べてみるしかない!

池袋に牧場はいつからあったのか?

明治21年(1888年)に、本かくてきな牧場ができた!

なんの牛? どうしてさかんなの?

にゅう牛のしいく。人と家があつまっているので、牛にゅうを買うおきゃくさんが多い、東京市が近くて、大きな道路にちかいから。

何けんくらいあったか?どのくらいの大きさ?どんなふうにしごとをしていたか?

池袋駅西口の近くに3けん、東口に6けん、豊島区全体で、約60けんもあった!小さい牧場が多くて、大きな牧場はほとんどなかった。
前の日にしぼって、びんにつめて、さっきんした牛にゅうを、東京市に売りにいってた。

ちなみに、昔の牛にゅうのねだんはたかく「薬のかんかく」で飲まれていた。

いま、池袋に牧場はなく、牛もいないけど・・・

どうして牧場がなくなってしまったのか?

  1. 住宅地の中の牧場は「臭い」「汚い」といわれるようになった。
  2. 結核牛の問題
    結核にかかった牛の牛乳を、人が飲むと人も結核にかかる可能性がある。

郷土史家の先生にも聞いてみた

豊島区史編さん委員・伊藤榮洪先生

  • 明治時代、池袋は人も家もない田舎だった。
  • でも関東大震災で、浅草や港区のほうに住んでいて、家を失った人が移り住んできた。
  • その結果、後から越してきた人に「臭い」「うるさい」と言われてしまい、牧場をやっていられなくなった。
  • 昭和のはじめには牧場はなくなっていた。

牧場に行ってみたよ

牧場のにおいって、どんなにおいなんだろう?

ねりま区の小泉牧場にお母さんと行ってみた

  • やく80年前から牧場をやっていて、30頭の牛がいる牧場。自由に見学ができる。でもびょう気をもちこまないように、牛しゃの中には入れません。
  • 牧場の近くにきたら、牛のうんちかわからないけど、すごいにおいがしてきました。

どうして牧場をやっていけるのか?

牧場の人に聞いてみました

  • 昔はくじょうが多かったけど、近くの大泉小学校の先生が、子どもたちに見学をさせてもらえないかときたので「いいですよ」と言って、見学してもらったら、ほかの学校からも見学させてくださいと言われた。たくさんの子どもたちが見学することで、牧場について理かいしてくれる人がふえた。
  • 牧場の牛にゅうで作ったアイスクリームもたべました。ねりま区の名産だそうです。おいしかった!

もし今、池袋に牛がいたら

ねりま区には牛がいたけど、
池袋にいた牛も見てみたくなった。

  • 図書館も、郷土資料館も調べたけど、
    池袋にいる牛の写真はありませんでした。

なければ、牛の絵をかこう!

大きな紙を買ってきて、ダンボールをもらってきて、お母さんと絵をかきはじめました。

池袋の森に運んでみました。

草をたべてるみたいでしょう。

90年前にこんなふうにこの場しょで牛たちが生きていたんだなあと思いました。でも、ちょっとマンションと牛は、あわないかなぁと思いました。

こんなふうに今、池袋に牛がいたら、板ばしの子ども動物園みたいにあそびにいけたのに・・・。
でも、牧場を続けていくにはとても大へんなので、ざんねんだけどしかたのないことだと思いました。
でも、池袋で本物の牛に会いたかったなぁ。