きょ年の夏休みに、いのうただたかをしらべて、れきしが好きになりました。それで、れきしの人ぶつ図かんを買ってもらいました。
図書かんで、はじめて名前を知った「かつかいしゅう」の本を読んでみると、思いの外おもしろかったので、もう一回読んでみました。かいしゅうは「びんぼうざむらいの子」とよばれていたのに、ずいぶんとえらい人になったなあと思いました。
どうして、そんなにえらくなったんだろう?!
し…しりたい!!な…なんでだろう!?
さあーがんばってしらべるぞー!
かつかいしゅう 子ども時代のひみつ
生まれた日:1823年1月30日
生まれた場所:江戸本所かめ沢町 両国公園
両国公園は、ぼくがかよう両国小のむかいがわ。かいしゅうも両国小を見たのかな?
ぼくが1年生のころ、両国小は140しゅう年きねんだった。かいしゅうは両国小を見たんじゃないか。
1872年が両国小のはじまり。場所は、えこういん。今の両国小の場所にうつったのは1905年。かいしゅうがなくなったのは1899年。
つまり、今の両国小ができたころには、かいしゅうは なくなっていて見ることはできなかったけど、えこういんの場所にあった両国小は見たことがあるかもしれないね。見てるといいな。
びんぼうなくらしだったよ!
- かべの土はくずれ、たたみはぼろぼろ。
- もちを買うお金がなくて親せきにもちをもらいにいった。両国ばしで、もちがころげおちた。はいつくばって、もちをひろった。でも、いやになって川になげた。

はつのじょうとあそんだよ
江戸じょうに行った時に第十一代しょうぐん・とく川いえなりに「まご(はつのじょう)のあそびあいてにちょうどよい」と言われた。
何をしてすごしたのかな?
すもう、勉強、水のかけあいっこ。
木やぬのでできているおもちゃいがいなかったと思う。
ほかには、中国の古い本を音読したり、しゅうじや、けんじゅつ、じょう馬をした。
いっしょにすごした時間は何時間ぐらい?
朝の10時ぐらいに行って、夕がたの4時ぐらいに帰る。ごうけい6時間。
江戸じょうで2年間すみこみした。
(かいしゅうが7才~9才のとき)

しゅぎょう時代のひみつ
- 9才の時に男谷精一ろう(いとこ)にけんじゅつをならった。
- 16才の時にしま田とらのすけから、すみこみでくらしてならった。
なんでけんをならいはじめたのか?
はつのじょうといっしょにやった時にたのしかったんじゃないかな。
おとうさんのこきちに「勉強がいくらできても、自分の体くらい自分でまもらなければ!」と言われたから。
かつかいしゅうの気もちになってやってみた
★けんじゅつ体けん★
けんじゅつでは何をするか知りたくて、体けんしたよ!
けんじゅつではどんなことをするのかな?二人でけんでたたかう?

すぶり、かた、二人でたたかう、えんぶ
けんじゅつではどんなことがみにつくんだろう?体が強くなる?
しせいがよくなる、れいぎ正しくなる、体が強くなって心によゆうができるから、人にやさしくなれる!

ぜんを学んだよ!
「ぜん」て何?

「ぜん」とは、ぶっ教の一つで心をおちつけて、さとりをひらくこと。
「こうふく寺」に行って、お寺の人に話をきいて、あんないしてもらったよ。

さむくてざつねんがうかんできて、いやになったけど、体と心が強くなりたかったから、しゅぎょうをしたんじゃないか。しま田とらのすけの言ったとおり、心とけんが一つになってつよくなったと思う。
らん学を学んだよ!
しま田とらのすけに「これからは、けんだけで生きる時代ではなくなった。せいようしきのたたかい方をしらなきゃいけない。今かららん学をやれ!」といわれてはじめた。
勉強につかえそうな「ズーフ・ハルマ」(蘭和じしょ)が本屋さんで売っていた。すごくほしかったけど、お金がぜんぜん足りなかったから、もっている人から1年間かりて、書きうつした。
何巻(かん)本を書きうつしたのかな?
15かん。1年で書きうつせるのはそれぐらいだと思う。
1ぶは58かん9万語3千ページ。かいしゅうはそれを2ぶうつした。ということは!あわせて、116かん18万語6千ページということ!
かいしゅうは1ページに30語うつした。1ページうつすのに何分かかる?
30分。1つのことばで1分じゃないかな。けっこう大へんじゃないかな。

かつかいしゅうの気もちになってやってみた
★じしょのかきうつし★

【じかん】かいしゅう:1年、ぼく:420分(7時間40分)
【ページ】かいしゅう:6000ページ、ぼく:18ページ
【たんごの数】かいしゅう:180000語、ぼく:526語
はじめの2ページは大へんだったけど、なれてきたら、たのしくなってきたし、スピードもはやくなった。でも15ページ目ぐらいで「もうやりたくないよ」という気もちになった。すっごくつかれたけど、外国に行った時に読み書きできるとやくにたつし、こまっている人がいたらたすけられるから、やってよかった!

ぼくはエアコンがきいたへやで書いたけど、かいしゅうは、あつかったり、さむかったりして、大へんだったんじゃないか。
日本のためにがんばった時代のひみつ
- 1853年にペリーが日本のかい国をもとめてやって来た。
- ばくふはこれからどうするかこまって、大名からはた本まで、いけんをきいた。
- かいしゅうは「海ぼういけん書」を出した。
- 700人がおうぼした中で、かいしゅうのいけんがえらばれた。
海ぼういけん書って何?
せんきょみたいに、かみに「かい国」か「さ国」か書いて、そのりゆうも書いて、だす。
ぼくも作ったよ!

- 一、み分を問わず、ゆうのうな人ざいをとうようすること
- 二、ぐんかんをつくって海ぼうにそなえること
- 三、とくに江戸のまもりをきょうかすること
- 四、へいせいを西ようしきにあらためて、へい学校をそうせつすること
- 五、火やくとぶきをせいぞうすること
かいしゅうみたいに、がんばってべんきょうをして かしこくなっても「はたもとやごけ人だからダメ」と言われたら、日本のためにせっかくがんばりたかったのに かわいそうと思ったんじゃないか。
江戸は生まれたり、いろんなことを学んだ場所で、かいしゅうにとっても一番大じな町で、しょうぐんもいるから、とくにまもらなければいけないと考えたんじゃないか。
かんりん丸でアメリカへ!

何のためにサンフランシスコに行ったか?
日本は今、かい国か さ国か こまって、いろいろがんばっている。アメリカは今、何をしているか見にいった。アメリカのアイデアを学びに行った。
1858年に大ろうのいいなおすけが「日米しゅう好通しょうじょうやく」をむすんだ。そのさいごのてつづきをするための人をのせたポーハタンごうをまもるために行った。
Oh! No!! ぜんぜんちがかった。
このころは、外国と仲がわるかったから、アメリカに行く前にかいしゅうは「てっぽうでうたれたりしないかな」と思ったんじゃないか。でも、アメリカに行ったらかんげいされて、びっくりしてうれしかったんじゃないか。
かつかいしゅうの気もちになってやってみた
★ふねのうんてん★

ふねはスピードがはやくて、さむかったけど、むかしはもっとおそくて、ゆれて、冬の海だったから、かいしゅうは、すごく大へんでつらかったんじゃないか。
かんりん丸工作

妹といっしょに、Tシャツも作ったよ。

もし今かいしゅうが生きていたら、さくひんを見せたいです。
江戸むけつかいじょう!
1868年3月13日と14日にさいごうたかもりと話し合いをした。4月11日に江戸じょうは、しんせいふぐんにあけわたされた。血(ち)がながれないで、あけわたされたから江戸むけつかいじょうと言う。
二日間も、ほかに何を話したか?
かいしゅうはたかもりに「江戸の町はすごく大じな町だからこうげきしないでくれ」と何どもおねがいしたんじゃないかな。
かいしゅうは「とく川よしのぶをひきわたすと、あたらしいたたかいがはじまる。これいじょう日本人どうしでたたかってはいけない!」と言った。
江戸むけつかいじょうまでのながれが、本をいくら読んでもむずかしいから、お父さんにかみに書いてせつ明してもらったよ。お父さんありがとう。


江戸はかいしゅうにとって、日本で一番大切なところだから、ぜったいまもろうと思ったんじゃないか。よしのぶにたいしては、おいだされることになって、ごめんねと思ったんじゃないか。

いろんなゆかりの地
うらがにあるかつかいしゅうのゆかりの地。東かのうじんじゃの上坂さんにいろいろ教えてもらった。
赤さかの家のあと地と、せんぞく池。かいしゅうは、せんぞく池のけしきが気にいったから、別ていをたててすんだし、おはかもたてた。

ぼくもしずかでいいところだと思ったよ!
かつかいしゅうフォーラムに行ったよ!

江戸むけつかいじょうの後、とく川の人たちのしごとがなくなってこまるから、かいしゅうは、しずおかにおちゃばたけを作るしごとをあたえた。しずおかがおちゃでゆうめいなのはかいしゅうのおかげ!
むずかしかったけど話がきけてよかった。
かつかいしゅうの人生をしらべるのは、すごく楽しくて、わくわくしました。つらいこともあったけど、さいごまでやって、よかったです。
さいごにわかったことは、かつかいしゅうは、小さいころにいろいろけいけんして、いろいろ学んだ。たくさんいい人と出あった。いろんな先生のいけんをきいて、なんでもがんばった。けんやぜんをやって、体も心も強くなった。日本の海ぐんを強くしようとがんばった。だから、えらくなろうとしたんじゃなくて、日本のためにがんばった!!!ということです。