日本画は、制作された時代と同じような、闇のなかでほのかに照らす蝋燭の明かりで見なければ、制作者が「本当に描きたかったもの」が見えてこないのではないか。当時と同じ照明環境で鑑賞されるべきだ。

私の主張「陰翳礼讃論」と同じ様な主張はあるのか。日本画に蝋燭のあかりを意識した技法があるのか。日本画展示に蝋燭を再現した照明を用いた事例はあるだろうか。また海外の人々は私の主張に賛成してくれるだろうか。

蝋燭の明かりに対する文豪の視点

蝋燭の明かりについて私見を述べた作家として、谷崎潤一郎が挙げられる。

谷崎は著書『陰翳礼讃』で、漆器は蝋燭の明かりで見るべきだとし、古美術品に金や銀が多用されていることと闇の中の蝋燭などの明かりの関係に言及している。

鹿苑寺金閣や秀吉の黄金の茶室が一面金色なのは権力の誇示だけではなく、闇に映えるようにとの趣向が隠されていたのではないか。

夜の闇を生かした蝋燭の明かりによる日本画鑑賞が現在でも行われている事例を詳しくみてみよう。

本物の蝋燭で観賞する文化の伝承

事例1:高知県の祭礼における屋外での日本画鑑賞「絵金祭」

夜、屋外に展示する目的で作られた幕末の芝居屏風を、蝋燭で鑑賞できるお祭り。夜の闇に映えるよう極彩色で描かれている。幕末に生きた作者の制作意図が現代でも受け継がれている事例である。

事例2:夜咄の茶事における日本画鑑賞

冬の夜長を楽しむ茶事。蝋燭の明かりだけで行い、床の間の掛物も手燭でじっくり鑑賞できる。

2つの事例の共通点は「江戸時代から続く蝋燭による鑑賞方法の伝承」、つまり「製作者の意図に沿って鑑賞されている」こと。
⇒ 私の持論「陰翳礼讃論」の「日本画は製作者の環境とできる限り同じ環境で鑑賞すべきだ」に一致。

同じ考えの学者や作家はいるのだろうか。

蝋燭の明かりと日本画の関係性について、専門家の言及や見解を調査したところ、3人の専門家が本の中で私の「陰翳礼讃論」と同じ見解を述べていた。

私は中学3年のときに参加した東京国立博物館主催のワークショップで、「松林図屏風」の複製を蝋燭の明かりを再現したライトで鑑賞した。松の木が揺れ、風が吹き抜けていくように見え、蝋燭の明かりと照明の下で見るのとは全然違うと認識した。

その後、多くの美術館で蝋燭の明かりによる日本画展示を探してきたが、未だに出会えていない。美術館ではそのような展示は存在しないのだろうか。

美術館の今までの日本画展示で蝋燭を用いた例はあるのか探っていきたい。

今までの美術館、研究機関の取り組み

私が「陰翳礼讃論」を主張するきっかけとなったワークショップはなぜ実現したのか。

キヤノンの「文化財未来継承プロジェクト」によって実現された。最先端の印刷技術で原寸大に印刷し、忠実に再現する試みである。完璧な復元屏風を配置し、蝋燭の明かりを模したライトで鑑賞する。

明治時代以前の絵師は、午前は日光の明かり、夜は蝋燭などの灯火の明かりで制作を行ったと考えられる。しかし、作品をみただけでは、作られたのが日中か夜かは分からない。

福岡県の王塚古墳では、デジタル・シミュレーションにより、古墳内の彩色作業が太陽光の下で行われた可能性が高いと結論づけられた。

デジタル測定で作品の制作時の照明環境を調査する研究領域は「サイバー考古学」とよばれる。

次に山口県立美術館の日本画展示室の照明について、本で調べた。

蝋燭の炎に近い色温度に設定し、揺らめきを再現した小型ライトを作品の下部から照らすことで、当時の鑑賞方法に沿った展示が行われていることが分かった。

東京国立博物館の「プライスコレクション若沖と江戸絵画展」の展示照明について調べた。

若冲の絵画を多く所有するプライス氏の意向で、自然光や蝋燭のような明かりを展示照明に取り入れた。時間とともに変化する明かりを金箔が張られた屏風が反射して表情を変えていく様子が楽しめる。

この展覧会の照明を担当した木下史青氏の著書を読む。

美術館・博物館では、ふつう作品を見せるための照明は揺らいではいけない。絵がみえにくいからだ。
(木下史青著『博物館へ行こう』より引用)

この文章から、蝋燭のように「ゆらめく」照明を美術館で用いることは難しいことが分かった。

しかし、美術館の展示は詳細にじっくり鑑賞するためだけのものか。美術館における蝋燭、あるいは自然光のような展示照明の一般化はいつになるのか。日本人の「日本画鑑賞の歴史」は忘れられつつある。

専門家や作家の中で日本美術は蝋燭の明かりで鑑賞すべきだという意見が数多くあることが分かった。しかし現在、蝋燭の明かりを模した照明が使われている美術館は少ない。美術館の照明は作品を見えやすくするために設定するものだという理由が推測できる。

美術館で蝋燭の明かりによる展示照明を期待することは不可能なのか。

ボストン美術館でのアンケート調査

ボストン大学 芸術学部の高校生向け夏季講習とサマープログラムに参加した際、日本美術品が充実しているボストン美術館を訪れる機会が度々あった。

日本美術展示室の仏像展示室の照明が私のアイデアと一緒だった!

足を踏み入れた時、
法隆寺を訪れたかのような心持がした。

仏像の展示という美術館の義務を果たしつつ、日本を訪れたことの無いアメリカ人に日本の寺院の雰囲気を伝え、仏像が本来いるべき場所を紹介していることに驚いた。

しかし日本画展示照明は
当時を偲ばせる照明では無かった。

日本美術展示室に対照的な2種類の展示が存在することに疑問を持った。
仏像展示室の照明にどれほどの人が賛成か。屏風は制作当時を想像させるものでなくてよいのか。

ボストン美術館で34人を対象に
展示照明についてのアンケート調査を行った。

問1 「芥子図屏風」の中で、どの描写が好きか。
(屏風をじっくり鑑賞してもらうためのダミーの質問)

問2 「芥子図屏風」は制作当時の
照明(蝋燭の明かり)で展示されていたら賛成か。

回答した人の約6割が蝋燭の明かりによる日本画展示に賛成している。

日本を訪れたことがない海外の人も、蝋燭が作り出す幻想的なイメージが宗達の芥子と何らかの関連性を見出したのではと推測できる。

問3 仏像展示室の寺院を模した照明は仏像を鑑賞するのに暗すぎると思うか。

暗すぎるとは思わないという回答が約6割を占めていた。約4割が暗すぎるという回答。

蝋燭の明かりによる日本美術展示のメリット、デメリット

アンケートでは、6割の回答者が寺院的な照明に賛成したが、4割が仏像を鑑賞するには暗すぎると回答した。

回答者34人の内訳は、アメリカ人20人、ヨーロッパ系9人、アジア系2人、南米系1人。

小規模のアンケートだが世界の縮図たる声を集めることが出来た。従って彼らの賛成意見は世界的な視点を踏んだ声であり、日本美術をよく知らなくとも、漆黒の闇の中にぼんやり見える仏像に何かを感じたのではないかと思う。

約4割の反対意見は蝋燭のあかりによる展示がもたらすネガティブな面を浮き彫りにした。仏像の細かな技巧に目を凝らしたい人は、蝋燭の明かりによる照明は受け入れるはずがない。

同じアンケートを日本の美術館で実施しても、3~4割が「見えにくい」という理由で反対すると推測される。

結論

日本人は古来より、ゆらめく明かりで鑑賞してきたのだから、日本美術を鑑賞するうえで、制作者と同じ照明環境で鑑賞するのが筋だと思っている。「見えにくい」という反対意見もあるが、テクニックだけを詳細に見たいなら画集や図録の役目であると思われる。

美術館には美術品の修理、保存の役割とともに、それらがどのように日本文化に関わってきたのかを伝承する役目もあるのではないか。日本美術が家の中でどのような役割を果たし、鑑賞されてきたのかを、次世代の日本人や観光で訪れる外国人にも伝えていくべきだ。東京オリンピックを前に、美術館は日本文化を正確に伝える場所として機能するべきだと考える。

「美術館に行って、疑問に思ったことを図書館で調べる」ことが自然と身についてきたことが嬉しい。将来は海外で美術館の展示プランナーになるのが夢。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』など、自分と似た意見を持つ人が書いた本に出会えると、その筆者と会話をしているような心持になって楽しかった。私の持論「陰翳礼讃論」が多くの美術館で現実になることを願っている。