作品かんたん紹介

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おもったこと

福岡県の小倉へお買い物に行ったとき、常盤橋という、今ではめずらしい、木でつくられた古そうな橋をわたりました。その橋の近くにあったかん板を見てみると、「江戸時代に、ゾウがこの橋を歩いてわたった」と書いてありました。わたしは、このかん板を読んでびっくりしたと同時に、ゾウがどこからどこへ行こうとしていたのか?など、たくさんのぎ問がわいてきました。今回はそのぎ問を解明するため、これから調べていきたいと思います!!

常盤橋を渡ったゾウの正体

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ぎもんその①
常盤橋を渡ったゾウの正体は何なんだろう?インターネットで調べてみると、 常盤橋の近くにたてられていたかん板の写真を見つけた!

調べて分かった!

このゾウは、広南(今のベトナム)から、江戸にいる将軍徳川吉宗の命により来たことが分かった!また長崎から江戸までの道中で、天皇に見せることになっていたため、「広南従四位白象」という立派な名前がつけられたんだ。

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ぎもんその②
ゾウは、どうして直せつ江戸に船で行かなかったんだろう?江戸で漁をしていた漁しさんのめいわくになるからかなぁ?

調べて分かった!

幕府による外国との貿易の制限により、開港したのが長崎のみだったから、長崎を経由したんだ!これを鎖国といって、日本では江戸時代にこの方針がとられていたみたい。

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調べて分かった!

ゾウが直せつ江戸に行かなかったのは、鎖国が関係していたんだね!幕府の方針が深く関係していたから、ベトナムからやって来たゾウも、まず船で長崎までやって来て、陸を歩いて江戸(東京)まではるばる行ったということが分かった。

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ベトナムからきたゾウ

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ぎもんその③
中国とオランダとしか貿易をしていなかったのに、どうしてベトナムのゾウが日本へ来ることができたの?いったん中国の海を通ったから、鎖国中に日本に来てもよいことになったのかな?

調べて分かった!

どうやら、ゾウが出発した現在のベトナムのホーチミン市は、当時は中国の一部だったんだね!だからゾウが日本に来ることができたんだ。

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ぎもんその④
だれが何のためにゾウをつれてきたのかな?

調べて分かった!

ゾウは、鄭大威(ていたいい)という中国の船頭が、徳川吉宗の希望をかなえるために、ベトナムから日本へつれてきたことがわかった。徳川吉宗は 新知識にどん欲で、海外からの戦術・武器・薬・医学などの情報を好んだようだ。

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ぎもんその⑤
ゾウが乗った船が長崎港に着いたのは八ツ半。今の時間では午後3時。船に上がった人たちは、それぞれどんな仕事をしていた人たちだったんだろう?

調べて分かった!

意味の分からなかった言葉(仕事)を調べてみた

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ゾウの旅~前編~

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ぎもんその⑥
長崎~江戸まで、そもそもゾウは道をどうやって歩いて行ったのかな?とちゅうで山や川もあったはずだから、ものすごく大変な作業を人がやって江戸までたどりついたんだろうな。どこまで歩いたかや、その日の出来事など本で調べて表でまとめてみた!

調べて分かった!

長崎奉行とオランダ商館長が江戸へ行く時のコースや宿泊所をもとに旅の道が決められた。

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調べて分かった!

天皇へのお披露目の前にも、いろいろ大変なことがあったみたい。特に、川を渡るためにいやがるゾウを船に乗せるのに、80人も人手が必要だったんだ。また天皇へのお披露目の時は、ゾウフィーバーが起こったり、大変にぎやかだったみたいだね!

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ゾウの旅~後編~

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ゾウの旅もようやく半分のところまできたよ!今までいろいろなことがあったけど、この後の旅もさらに大変なことがあった。大きな出来事に注目して紹介していくね!

調べて分かった!

静岡県で、道中最大のなん所である大井川渡りでは、700もの人が川の上流でかたを組んで並んで流れを抑えて、ゾウが川を渡るのに協力したんだ!ゾウはあっけなく一気に渡ったそうだ。ほかにもとちゅうでゾウが倒れるなど、ひやひやした展開はあったものの、順調にゴールの江戸に向けて進めている。

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ついに、目的地である江戸に到着した!合計74日、約380里(約1500km)の道のりを無事歩き切ることができた。浜御殿には、すでに立派なゾウの小屋が用意されていた!また、ゾウは鼻を頭上高々とふり上げて、「ブォーッ」と江戸到着のあいさつをして、みんなを喜ばせた。

長崎~江戸のゾウの旅を調べて

調べて分かった!

長崎~江戸のゾウの旅を調べてみて、周囲の人々の大変さを知ることができた。特に、長崎奉行から出された命令にしたがうために、街道のそうじをしたり、さまざまなえさをじゅんびしたりと、とても苦労していたんだ。吉宗のところに行くまでに、たくさんの人々の努力に支えられていたことがよく分かる。

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ゾウもたくさん歩いて大変だっただろうけど、周囲の人々はそれよりも大変な思いをしていたのかもしれない。さて、次はようやくゾウと吉宗のご対面!吉宗はどういう反応をするんだろう?
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最後に江戸でのゾウの生活を見てみよう

調べて分かった!

ゾウが江戸に来て1カ月の間は、道中をともにしていたゾウ使いが残って、浜御殿にいる人たちに世話の仕方を教えていたみたいだね!その後は、病気にかからずご飯も良く食べ、元気に運動をして見違えるように大きくなっていった。このゾウは、1741年まで13年間飼われたみたいだけど、この間、吉宗は3回しか会っていない。

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まとめ

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おもったこと

買い物に行った小倉で見かけた常盤橋のかん板をきっかけに、ゾウが何のために、ここを歩き、そしてどこからどこへ歩いて行ったのかを調べてみたくなりました。調べていくうちに、当時(約300年前)の江戸時代の日本の様子がだんだん分かってきました。また、ゾウの旅を通して、当時の政さくや、将軍徳川吉宗の人物像についても知ることができました。今の時代とは違う点が多くありましたが、ゾウが人々にとても人気があることは、今の時代といっしょだと思いました。

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